零~刺青の聲~プレイ日記(36) 3周目クリアしていろいろ考える。

1周目、2周目はゲーム攻略の意識が強くて、あんまりストーリーを堪能できてなかったのかもしれない。
3周目クリア時のエンディングを見ると、1周目や2周目の時より印象的だった。

このゲームは、1周目では真のエンディングを見ることができない。
自キャラも結構貧弱で、この作品から零に触れた人はかなり苦労していることだろう。
なので、1周目は霊リストなんか気にせずさっさとクリアして(そもそも1周目ではすべての霊を集めることができない)ミッションモードで射影機を強化して2周目から本腰を入れてプレイしようと思っていた。
そのためか、ストーリーに関する話もすっ飛ばして、資料もあんまり読まずに2周目以降のためのフローを作成しつつさくさくと進めて行っていた。

2周目はそのフローを元に、攻略サイトと照らし合わせながら霊リストをコンプしていった。
つまり、1周目、2周目は完全に攻略することが目的で、ストーリーを堪能しようという心の余裕がなかったのかもしれない。

改めて3周目をプレイしクリアしてみるとサブストーリーがメインストーリーの伏線になっていて、裏の相関図が見えてきた。ああ、このキャラはこのためにいたのかと驚くとともにエンディングの表現が無印や紅い蝶より暗喩的で心に染みる。

夢を見るたびに体に刻まれていった刺青。
朝の雑踏の中、目覚めた怜が手を見たときにはその刺青は消えている。
何もない手を見て怜は泣き崩れる。
怜にとって刺青は優雨の痛みであり優雨自身だったから。その刺青が体から消えてしまったから。

ホラー色の濃かった今までの作品から、本作はエンターテインメント色の強いものになっている。
登場人物が多くなりシリーズ作品との絡みが増えたことで物語に深みが出てきた。シリーズ物の醍醐味が現れてきたのだろう。
またこの作品をやっていて、眠りの家とは心理学者ユングの集団的無意識層の中で人々の贖罪の概念が生み出した家をモチーフにしたのだろうかとふと思った。単純なホラー作品でなくなってきたと感じる1つの要因だ。

ただ、エンターテインメント性が強くなるとやはりどうしてもホラー感が弱まっていると感じてしまう。もっともこれは零シリーズの怖さに慣れてしまったのかも知れないが。

ゲームシステムは癖があるが、慣れればこれほどこのゲームにふさわしいシステムはない。ファインダーモードでRボタンを押すのはそのものずばりカメラと変わらない。人とデバイスとゲームの一体感を感じる。
インタビューでやりたいことを全部やったわけではないとの話もあったことから、何年先になるか分からないが次回作を期待せずにはいられない。

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